沿革

安政 6 年(1859) 山田豊次郎が大津大工町「花市」にて花卉植木栽培、庭造り、商いなどを学び、京都・五条麩屋町にて
「花豊」として独立開業
明治 33 年(1900) 五条麩屋町から葛野群大内村字中堂寺(現大宮五条本社地)へ店舗と栽培場を移転、花卉植木栽培、生花、造園業を営む
近隣の町家や本願寺、醍醐寺などの寺社庭園の仕事を行うとともに、造園 藪田、川辺らと造園の腕を磨く
明治・大正・昭和初期 西賀茂薬師山や今熊野、壬生、宇治木幡などに栽培場を開設
大正〜昭和初期 この頃から宮内省出入りを許され、京都御所、桂離宮などの業務を行う
京都市役所前庭園作業
昭和 7 年(1932) 現在の「花豊」看板を書家 坂本帆声の書により作成
昭和 20 年以降 京都駅や動物園など国土復興に向けた緑化事業、また唐招提寺など文化財庭園業務も手掛ける
昭和 38 年(1963) 株式会社に改組
建設省、京都市など公共緑化事業も手掛ける
昭和 45 年(1970) 山田米治郎をはじめ造園界をあげて大阪万国博日本庭園を作庭
平成 6 年(1994) 関西文化学術研究都市公園巨石群エリア作庭竣工
平成期(1991〜) 桂離宮、平等院庭園など文化財庭園の調査、修復事業
京都迎賓館庭園作庭事業 などを行う